今週は、東京大学社会学専修4年の岡崎さんから、『知識社会学から見たコンサル』というテーマで発表していただきました。
非常に難しいテーマで、租借に時間がかかりながらも、岡崎さんや参加者としていらしたコンサルタントの方とのディスカッションなどで徐々にテーマをかみ砕いていくことができました。
「コンサルテーションとは何か?」を、学問的に分析した発表です。「コンサルって、響きはかっこいいけど何やるの?」と思っている方、ぜひお読みください。
今回は、社会学の見地からコンサルを分析しました。
社会学とは、「現代社会の問題を解決する」学問です。「人間がつくった世界を分析する学問」と言い換えられます。
対比として、化学や物理などは「神がつくった世界を分析する学問」です。「神、自然」をよりどころにする理系の学問の、演繹の起点は「公理」です。「1+1=2である」など、(これは厳密には証明がいるらしいですが…まあ例えとして)誰が見ても納得できる共通のベースがあります。そして、その知識をもとに新しい論理の枠組みを構築していきます。
社会学も、「既存の知識を演繹して新しい知識の枠組みを作る」というプロセスでは、理系の学問と同じです。
しかし、演繹の起点が、誰が見ても納得する普遍的な事実ではなく、「人間がつくった、これまでの知識、社会の決まり」になります。
これまでの社会学がとらえた「社会学の知識の枠組み」から新しい枠組みを演繹していきますが、じゃあその演繹のもとになる知識はどこから来たのかというと、最終的には「近代社会の決まり」であり、それ以前の社会は「歴史」であるととらえられ、社会学から離れて人類学になります。
社会学は「知識によってとらえる現実社会の問題」を扱う学問であり、それは「もともとある知識を再解釈して新しい知識の枠組みを構築していく」ものなのです。
そして、その社会の捉え方そのものが問題となり、表面的な切り口ではなく、物事の本質をいかに理解して解釈を加えていくかが大切になります。
近代は、それぞれの仕事が専門化し、タコ壺化しています。
以前の村社会では、たとえば家にいるうちに商売の仕方を教わり、自分が後を継ぐように、「教育」「経済」が同じ場所で機能していました。
しかし現在では、この二つは別の枠組みとしてとらえられています。そして、別の知識の枠組みとして演繹されていき、もはやそのままではクロスできなくなっています。
近代の問題=専門化を考えるときに、経済の中で制約される知識の一例として、社会学を学ぶものとしてコンサルタント論が考えられました。
たとえば、広告は、以前は単なる商品の「告知」であったものが、「他の商品との差異を知らせる」ためのものになり、現在では「批評」になっています。(批評=世の中を反映した情報を商品に付加させるためのもの、そして最終的には情報そのものを商品の購買の目的とさせるもの)
社会学は「現実を変えるためにまず現実を知る」ための学問です。
そして、現実を知るには各システムが通じ合わない複数のシステムに所属している人間のバックグラウンドを知り、そのうえでその人間の主張を整理するのです。
そのツールとして、最近よく聞く「ロジカルシンキング」が挙げられます。
物事は、「内面(個人)知識」→「暗黙知(特定のコミュニティーの中での一般化)」→「明確化(全てのコミュニティーに通じる状態への変化)」→「連結化(次の知識へ演繹できる状態)」→「内面知識」というサイクルを経ていきます。
(理系的な意味での)学問では、このプロセスを繰り返すことで「真理」に近づいていきます。
その一方で、コンサルはこのプロセスが現在の社会の中でどこまで行われているかに着目し、そこから問題点を洗い出していきます。
たとえば、企業に問題がある場合、物事が「暗黙知」で止まってしまっている場合が挙げられます。
コンサルは、ある社会の状態に対して仮説を立て、上記のサイクルを一定の「規範、手続き」に則って回します。
それを細かく何回も繰り返すことで、現状を分析します。
コンサルタントは、「近似の、時代や状況でそれが異なってしまう再現性のない真理を素早い時間で求め、それを用いていかに現状にアプローチするか」という仕事なのです。
普通の学者は「真理に近づくことが第一目的。正確さが最優先で、時間は惜しまない」のです。
既存の知識から演繹するという同じ手法をとりながらも、その目的の違いから真理へのスタンスが異なってくるのです。
社会学では、大多数の人が所属する「社会」を、いわば恣意的な形で切断して分析します。
しかし、大多数の人間が自ら所属し理解できるものを扱う学問であるため、「大衆による淘汰」が可能です。
(たとえば、スパコン問題が仕分けされて騒ぎになりましたが、騒いでいる割には理解できる人なんてほとんどいません。その一方で、下流社会の問題は実感として理解できる人が多くいます)
その淘汰のおかげで、ほとんど恣意的な社会学が学問として一定の「正しさ」という信頼を得ることができます。
また、そもそも社会学は「社会を分析して問題解決に役立てる」ための学問であり、最終的に問題さえ解決できればその解釈が正しいかどうかは「どうでもいい」のです。
実際のコンサルテーションのお仕事は、定石に則った分析だけではなく、いかにお客様に「バリュー」を提供するか、という努力が日々なされているそうです。
「なんとなく横文字でかっこいい」お仕事から、「ビジネスの最前線の学者」へとコンサルタントのイメージが変わった発表でした。
岡崎さんからのコメント:
社会学とコンサルが似ているのは「ある意味で」ということであって、発表では現実を変える側面が強調されましたが、一応社会学のディシプリンは学問のルールに従ってあります。
コンサルタントの知識は、経済というサブシステムを境界づける要因の解明につながるのではないか、というのが僕が発表で言いたかったことでした。